ビビアン・ウエストウッドがパリへ
ビビアン・ウエストウッドがイギリスのアヴァンギャルドの象徴となった頃、ビビアンはロンドンのオリンピアにおいて1981年秋・冬コレクションで最初のキャットウォークプレゼンテーションを発表しました。ビビアン・ウエストウッドは、1982年10月にマリークァント以来2人目のイギリス人デザイナーとして、ビビアン・ウエストウッドのコレクション発表の場をパリへと移しました。それと共にロンドンにビビアン・ウエストウッドの2番目のショップとなるノスタルジア オブ マッドをオープンします。その後1984年後半、ビビアンはこの店の閉店と時を同じくしてマルコムから独立していくことになります。ビビアン・ウエストウッドは、1984年の秋に東京で行われたThe Best Of Fiveに、ジャンフランコ・フェレ、カルバン・クライン、クロード・モンタナ、森英恵らと共に選ばれ来日し、ビビアン・ウエストウッドのコレクションを発表しました。1984年はビビアンがファッションに対する方向性を変えた重要な年でした。ストリートスタイルや若者のカルチャーが、ビビアンの世界を模倣することをやめたのです。それを機に彼女は、サヴィルローテクニックの中に、17世紀のイギリスの生地に、そして18世紀のアートの中に彼女のインスピレーションの源を見つけるようになるのです。この頃ビビアン・ウエストウッドに伝統をもって未来を創るというビビアンのクリエイティビティを象徴するORBロゴが初めて使われました。
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